鴉の弔い
人間は死に対して鈍感である。
輪廻転生を信じ、故人との再会を願い、死後の世界を想像し、死者が死後の世界で生き続けていることを祈っている。
それは死の恐怖や強い喪失感に対する一種の防衛行動と言えるかもしれない。
葬儀の場で「笑ってお別れしましょう」と笑い合ったり、「またね」と別れを告げたりするのも同様で、それほど死を完全に受け入れることは容易ではない。
一方で、カラスの死への向き合い方に関して興味深い事例がある。カラスは仲間の死を認識し、死体の周りに集まる「カラスの葬式」と呼ばれる行動をとることが知られている。これは、危険を察知し観察するためという説もあるが、ある出来事を通して、カラスが単なる観察を超えた感情を抱いているのではないかと考えるに至った。
駅のホームで目撃した光景は言葉を失うものだった。線路上に列車に轢かれたカラスが横たわっており、多くのカラスがその周りを飛び回り、けたたましく鳴き叫んでいたのである。
特にある一羽のカラスは、死んだ仲間のそばを離れようとせず、死姦をしては旋回している。それはまるで、仲間の死を認めたくないかのように、生きていることを確認しようとしているようだった。さらに、そのカラスは、再び近づいてくる列車に向かって飛び込み、仲間を助けようとするかのように危険を顧みない。その様子を見て、他のカラスが飛び込みを制止しようとする姿もあった。これらの行動から、カラスが単に死を認識しているだけでなく、深い悲しみや喪失感などの感情を抱いているのではないかと感じたのだ。
大切な存在の突然の死に対し、悲しみ、怒り、そして狂気に近い行動を見せるカラスの姿は、人間が死に対して鈍感であることを改めて考えさせられた。
本当に人間は、カラスよりも利口なのだろうか?
確かに、鈍感であることは生きやすく、繊細であることは生きづらいと言われることがある。しかし、繊細であることは悪か?
感情を押し殺し、見ないふりをしたとしても、その感情は心の奥底に残り続けるものである。悲しみを悲しみとして表現できるカラスの姿は、美しく、そして羨ましくさえ感じられた。
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